快適なしろごま油
そういえば、マギーの固形スープの中には、日本の淡口醤油そっくりの味のあることは、知る人ぞ知るところだ。
『万葉集』に蟹と塩を協混ぜる歌や、鹿の胃袋を塩に漬けて調味料とする歌があり、当時から1種の肉醤や魚醤を作ること行なわれていたと考えられている(現在のいかなご醤油やショツルその名残だ)小麦、米、豆などの穀類を、塩とともに醗酵させてつくる豆醤とか穀醤の類は、やはり唐や朝鮮から導入された技術だった。
醤は「ひしお」と読み、中国からのは唐醤、朝鮮からのは高麗醤と呼ばれていた。
奈良時代には、日本在来の方法に、これら大陸の技術も導入されて、末(未)醤・荒醤・真作醤・唐醤・滓醤・鼓・大麦醤・小麦醤・大豆醤など、いろいろな種類のものできていた。
ただ、醤といっても、味噌のようなものなどいろいろあったようで、こんにちの醤油に似たものは「醤収汁」といわれるものだけだったらしい。
もともとある程度の発達をみていた肉醤・魚醤の類すたれ、製造技術上はかえってむずかしいと考えられる穀醤、とって代ったのは、仏教伝来によって天武天皇あたりからはじまったわが国独特の殺生禁断の風潮に押され、調味料の世界でも植物愛されていったからであろう。
はっきり液状らしい「醤」あらわれるのは平安時代だ、味噌とも醤油ともつかない「醤」の状態長くつづいた。
3日にあげず宴会をもよおしていた平安貴族たちのメニュ1をみると、主たる料理は十数種の皿の魚やあわびや焙などの、畜肉こそないものの徹底した肉食だ、手許には塩や酢と並んで「醤」ひかえている。
平安京には東西に市設けられていたこの東市には「醤」店、西市には「未醤」店があった。
この醤醤油、未醤味噌のそれぞれ原型と考えられているどちらも要するに穀物の醗酵製品で、まだはっきりと分離していたわけでもなかったらしい。
むしろ、醤は唐風、未醤は韓風の製品だったとも伝えられている。
この時代にはまた、鮒や鮎の醤漬けというのもあった。
こんにち、日本は世界1の潰物国で、塩漬け以外にも、味噌漬け・粕漬けなど、いろいろな調味液工夫されている。
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